Loading

Interview

好奇心を忘れず、探究心を発揮するとき、コンピューターからいろんな技術がつながった。

電気・電子系エンジニア

吉村 政一

エンジニア略歴

  • 1997年新卒入社
  • 1997年~半導体工場排水無害化プラントの制御設計、施工管理、立ち上げ調整、メンテナンス
  • 2005年~電子部品製造装置の制御仕様設計、プログラム作成、立ち上げ調整
  • 2009年~光ディスク製造装置の立ち上げ調整
  • 2009年~医療機器検査装置の立ち上げ調整、ガラス搬送設備の制御仕様標準化
  • 2010年~医療用品の組み立て、加工、検査用装置の仕様設計、立ち上げ調整、量産対応、ディスコン対応

エンジニアの原点は、
「コンピューターで遊びたかった!」。

紆余(うよ)曲折は、エンジニアにはつきもの。希望する機会が得られず葛藤する人も多い。今回登場する吉村さんは、数々の挫折に突き当たりながら、自分の可能性を拓き続けてきた。その出発点は「コンピューターで遊びたかったから」という。

「コンピューター世代のど真ん中。でも、家には機械がなかったんです! 中学時代までの悩みの種でした。地元の工業高校なら、ポケットコンピューターを1人1台使わせてくれると聞いて『それだ!』と決めました」

ポケットコンピューターとは1990 年代に流行した小型端末で、ベーシック言語やアセンブラ言語でプログラムできる。

「専門雑誌の中に書かれたプログラムを丸写しにするところから始めました。シンプルなゲームを遊べる性能があって、操作の習得が進むと、別のメーカーの端末のプログラムを移植したり、ベーシックから呼び出すアセンブラプログラムを作成するぐらいに上達していました」

プログラムの基礎は、その繰り返しの中で獲得したという吉村さん。コンピューターに関する仕組みの理解も進んだ。

「例えば、授業で学んだシーケンス制御の知識。学校のカリキュラムは『プロコン』や『パンチカード』を使った初歩的なものでしたが、のちに業務でラダープログラムを任されたとき、ラダーとアセンブラのニモニックコードが同レベルのものであることに気が付き、知識がつながりました」

しかし、コンピューターに対する好奇心は、ポケットコンピューターでは満たされないほどふくらんでいった。

「仕事以前に、コンピューターを使い倒してみたかった。そのために、電機メーカーのコンピューター学園を受験したのですが、不合格。次善の策として、学校の求人票の中から見つけたのがメイテックでした。求人票にはロケットやスーパーコンピューターなどの魅力的なワードとともに、最先端の技術領域の仕事に携われると書いてありました」

「コンピューターが好きそうだから」
送別会の席で契約延長決定。

最初のお客さまは、プラントエンジニアリングメーカー。業務は機械図面の作図だった。

「お客さま先での設計のピークは既に過ぎていたので、あまり忙しくありませんでした。そこで、職場のコンピューターで何ができるのかを自習。その経験が私に次の機会をもたらしてくれました。契約が終了するとき、送別会の席で、お客さま先の上司が『コンピューター好きだよね。他の工場で電気制御プログラムの仕事があるけど、やってみる?』と言ってくれたのです。パソコンを使って自習していることを見てくれていた」

そうして新たに任されたのが工場排水無害化プラントの電装制御。それぞれが一つの部屋ほどもある機械をつなぎ合わせて、コンピューターで制御していく。

「ここで初めて、コンピューターを使った業務を自分のものにすることができました。プログラムを組み立てるだけではなく、自分が担当するプラントでトラブルが起こったときには、昼夜なく対応する。この仕事を通して、プログラムともののつながりについても、理解を深めることができました」

また、プラント開発は求められる知識が広く、土木や建設に加え、防蝕などの化学知識、フィードバック・フィードフォワード・ファジー制御といった、ハードからソフトまで幅広い知識に触れた。

「さまざまなベクトルの知識が、あるとき合流する。知識がつながる楽しみを知りました」

この初めてのお客さま先での業務は8年間継続。社会人として仕事を進める上で必要となる基礎からエンジニアとして必要な電気の知識、プラント開発に関わる幅広い知識を学ぶ時期となった。

突然の契約終了。
自身の人間力と向き合うきっかけに。

失敗もあった。

世界的なエレクトロニクスメーカーで業務をしていた時に、アメリカ工場で製造ラインを立ち上げるプロジェクトに参加した。設備のタクト短縮のために、ブロックごとにサイクルタイムの見える化を提案したが、どうしてもお客さまに納得いただくことができず、契約は3カ月で終了。

「今思えば、お客さまとの信頼関係の構築がうまくできていませんでした。『技術があればなんとかなる』という中途半端な自信を付けて天狗になりかけていたことに気付き、自分の社会人としての姿勢を見直すいい機会になりました」

次のお客さま先は医療機器メーカー。設備全体の構想設計と電気制御プログラムの開発を担当し、現在につながる技術を得た。

「注射器の薬液を入れるシリンジの中に異物が入っていないかを検査する設備から、液晶ガラスの搬送設備、樹脂の棒をすきまなく袋詰めする設備など。さまざまな専用機に携わりましたが、ヒューマンマシンインターフェースの標準化を見据えた設備を計画する能力を得たと思っています」

開発する人と使う人、
橋渡しとなる技術を生み出したい。

そして、5社目となる現在のお客さま先へ。

「大手医療機器メーカーでカテーテルとガイドワイヤーを加工する設備の仕様設計と導入、更新業務を行っています」

曲がりくねった人間の血管の中に入って働くカテーテル。ガイドワイヤーを血管に通して、その後からカテーテルをそれに沿って挿入していく。血管は極めて脆ぜいじゃく弱であり、決して傷つけてはいけない。このためにカテーテルとガイドワイヤーには、血管を保護し動作をスムーズにするための微細なデザインが施されている。また、使用する部位や用途により、太さや先端の形状など、数百もの製品バリエーションが存在する。

「多種多様な製品を、限られた数のラインで製造する、機械構成や加工方法に関する幅広い知識が必要となる仕事です」

既に9年目、吉村さんだけが持つ知識や技術も増えてきた。これまでさまざまな設備を担当してきたからこそ、吉村さんは、設備使用者のユーザビリティを改善する、ヒューマンマシンインターフェースのスペシャリストを目指しているという。

「どんな分野の設備でも、開発者と使用者は多くの場合異なります。それぞれに仕事のスタンスが異なり、開発者の意図が使用者にうまく伝わらないときにミスが起こります。それを回避するノウハウを知り、使いこなす、そのような技術を極めてみたいのです」

例えばスイッチの表示を単に「ON」と「OFF」から「あり」と「なし」に変えるというように。文字の種類や長さを変えたり、色や配置に意味を持たせたりすることで、使用者のミスを減らせる。

数多くの設備に長年接し、経験してきた自分だからこそできることがある。設備の改善には終わりがなく、まだまだ課題は山積みされている。自分が掘り出さないと山はそのまま。前のめりで業務に向き合わなければならないと語った。


※当社社内報「SYORYU」:2019年夏発刊号に掲載した記事です

エンジニアインタビューをもっと見る