Loading

Interview

趣味が高じて仕事になった。
システム開発の現場は今も楽しむ機会にあふれている。

IT系エンジニア

青木 義照

エンジニア略歴

  • 1998年新卒入社
  • 1998年~汎用コンピューターのプログラム設計
  • 1999年~デジタルミニラボ制御アルゴリズムのモジュール化構造設計
  • 2003年~プリント基板露光機の詳細プログラム設計
  • 2007年~医療用モニタリング装置のソフト開発
  • 2008年~医療機器通信プロトコルの開発、実装
  • 2011年~医療機器のデータ出力試作機開発
  • 2014年~家庭用ミシンのタッチパネル、ユーザーインターフェース制御システム開発

雑誌を見ながら、
プログラムを書き写していた学生時代。

「仕事は楽しいですか?」と聞かれると、口ごもる人もいるのではないだろうか。でもここに「楽しむための手順をきちんと踏まえているから、当然楽しんでいます」というエンジニアがいる。中学生から30年間、大好きなコンピューターにかかわり続けてきた青木さん。エンジニアとしての出発点は8ビットパソコンだった。

「最初はゲームがしたかったんです。でも、親は遊びだけのおもちゃは買ってはくれず、パソコンならいいよ、と。ゲームソフトもないので、当時あったプログラミング雑誌に投稿されていたプログラムを延々打ち込んで、パソコンを動かしてみた。それが始まり。高校生のときには、初歩的なゲームを自分でプログラミングするようになっていました」
 
大学に進学するつもりはなかったが、新聞の広告で見た、パソコンに詳しい学生のための大学推薦枠へ応募してみたところ、見事合格し入学することになった。

「大学の勉強はそれほど印象に残っていませんが、アセンブラを友人と共に勉強したのが、その後大変役に立ちました。コンピューターがどのように動いているのかを電子制御レベルで、ハードに近いところから理解していくことができたのです」
 
就職活動では、漠然とパソコンを使った仕事に就ければと考えていた。そんな中、企業説明会で訪れたメイテックへそのままエントリーし、内定をもらい入社することに。派遣エンジニアとしての働き方もまったく知らなかった青木さんは、これから先、パソコンざんまいなエンジニア生活を送ることになる。

仕事の幅を広げたのは、
自分なりの提案をすること。

最初に配属されたのは総合電機メーカー系のシステム開発会社。担当したのは汎用機用サービスプロセッサーのプログラム作成だった。「一つ前の機種が大いに売れたのですが、市場規模が縮小し、私がかかわった機種が売れたのは全世界で1台だけ。その後資金がなくなり、業務も終了となってしまいました」
 
業務期間は短かったものの、そのお客さま先では設計仕様書の書き方、レビューの仕方、ワークフローの基礎などを教えてもらった。

「次のお客さま先では、アナログフィルムカメラの現像・プリントを行う装置のプログラム開発を任されました。現像されたアナログフィルムをセットすると、自動的にフレームを読み取り、露光する。例えば、写真の中に白い街灯があったとして、機械がそれをフレームと勘違いしないためにはどうするか、というような、経験あるフィルムメーカーならではのノウハウに数多く触れることができました」
 
同じお客さま先で、露光技術を応用したプリント基板の露光機開発にもかかわった。

「写真露光技術を応用して、レーザーで回路をプリントしていく機械です。高い精度が要求される分野で、オートフォーカス装置を制御するための、プログラム設計に携わりました。プリント基板には微少な凹凸があり、これにより焦点が合わずにマスクが駄目になってしまうということが起きてしまい、解決に苦労しました」
 
そこで青木さんに求められていたことは「お客さま先の研究員が決めたアルゴリズムを使う」ということ。だが、この仕事が楽しくて試行錯誤を進めるうちに、自分でアレンジを加えた提案をして、課題を解決するようになっていった。するとお客さまから「アルゴリズムを考えてみないか?」という話がくるようになり、仕事の幅が広がったという。

お客さまの指示があいまいになったら
信頼の証し。

「お客さま先で最初から自分のやりたいように仕事をしてしまうと、叱責され、契約も終了する可能性があります。初めのうちはお客さまの要望に、忠実に対応していくことが必要です。その積み重ねで信頼を得れば、徐々に指示があいまいなものになります。そのあいまいな依頼に対して、自分の意思、考えを反映した提案ができるかどうかが大切です」

そんな青木さんの仕事の進め方は、二〇〇七年からのお客さま先でも広く受け入れられた。

「次の配属先は医療機器メーカーの開発部門。最初に任されたのは、輸液ポンプのモニタリング装置のソフト開発でした。簡単に言えば点滴の機械ですが、正確な分量の投入が要求されます。このようなシビアな要求に応えるシステムの構造をまとめました。その仕事の成果が評価され、次の仕事につながりました」
 
患者の情報をトータルに管理する電子カルテを、交通系ICカードのような非接触方式で構築する。市場投入前に、病院で使用感を確認してもらうためのプロトタイプの開発。

「お客さま先で使おうとしていたプロトコルの使い勝手があまり良くなかったので、ハード側、アプリケーション側の通信フォーマットの役割を整理して改善策を提案しました。今、市場にはこのプロトコルののった体温計が出ていますが、私がこの時提案したことも製品化の一助になったと自負しています」

時代が変わったとしても、
より大きな視点が楽しさを生む。

青木さんは現在、家庭用ミシンのファームウェア開発を担当。家庭用ミシンの技術進歩は目覚ましく、ペインティングソフトに匹敵するアプリケーションを搭載し、ディスプレイ上に描いたとおりの刺繍が可能だ。

「私の仕事は製品のユーザビリティを向上させること。先行機種では、CPUの割り当てなどに未整理な部分が多かったので、担当周辺部分も含めて再検討しました。システムを高速化し、ユーザーの創造性を邪魔しないものに仕上げることができました」
 
コードを一文字ずつ入力していった学生時代に比べると、プログラミングの現場はまったく変わってしまった。その環境でも仕事を楽しむことは十分に可能だという。

「現在のシステム開発は完成度の高いモジュールを組み合わせていくことが中心になり、機械の動きを感じることは難しい。でも、おもちゃのブロックのように、組み合わせによっては、新しいものを生み出せます。より大きな視点に立って仕事をしてみると、システム開発の面白さは広がります」

特定の製品に対するこだわりはないものの、案件さえあれば、なるべく多くの会社でそれぞれの開発スタイルの差を経験したいという。

「会社が変われば次はどんな開発手法が待っているのか、わくわくしますね。複数のお客さま先で業務を経験することができる、しきり直すこともできるのが、メイテックのエンジニアの強みです。たとえ失敗することがあっても、困難な課題に挑み、自分が良いと思ったことを率先して提案することには、メリットしかないと考えています」

「仕事を楽しむ達人」。青木さんにはそんな表現が、よく似合う。


※当社社内報「SYORYU」:2018年春発刊号に掲載した記事です

エンジニアインタビューをもっと見る