Interview
Aの未来と、Bの未来、どちらに振れても、「できない」と言いたくないから、準備する。
IT系エンジニア
エンジニア略歴
- 2002年ジャパンアウトソーシング(現メイテックフィルダーズ)へ新卒入社
- 2002年~モバイル端末の電気特性および無線特性評価設備設計、工程設計
- 2005年~携帯電話生産管理用データベースシステム設計
- 2006年~携帯電話カスタマーサポートシステム、生産設備・生産管理システム設計
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2007年~メイテックへ出向
自動車メーカーにて社内用投資・リソーセス計画システム開発 - 2008年メイテックへ転籍にて入社(10月)
- 2010年~請負業務にて、生産管理、製造管理システムの開発、地図配信サーバー開発、携帯端末CSシステム機能改善、生産管理システム開発、交通情報システム開発、車載機取付サポートアプリケーション開発
- 2014年~社内派遣にて、就業管理システムプロジェクトに参画
「一つ」には決められないから、
幅広い専門知識を追求した。
未来は誰にも分からない。どんな技術が脚光を浴びるか。どんなエンジニアが必要とされるか。正解は見えない。しかし、いざチャンスが訪れたとき、みすみす見送ってしまうことだけはしたくない。だから、そのための選択肢を広げておきたいという城さん。
「高校時代には漠然と将来は設計の仕事をしたいとは思っていましたが、最終的に自分のやりたいことは見えていませんでした。だとしたら、一つの狭い領域だけを専門にするよりも、幅広い知識の得られる分野で学びたいと思いました」
選んだ進路は、電子制御システム工学。機械・電気・電子を総合的に学ぶことができる学科で、光デバイス半導体を専攻した。後にエンジニアとしてかかわった仕事は、機械を動かすシステムや電気の技術から成り立っている領域が多く、大学で培った機械、電気、システム分野それぞれの知識が役立った。
「同級生は製造機械やシステムの会社を志望する人が多かったですが、就職環境は悪く、メーカーの採用試験も受けましたが、いい結果が出せずにいました。そんなときエンジニア派遣を行うジャパンアウトソーシング(現メイテックフィルダーズ)の存在を知りました。電気設計や半導体、製造装置にかかわる仕事もあり、研修もしてくれるということだったので、この道もあるかと入社を決めたんです」
遊び心を忘れず、信頼も勝ち得た
最初のお客さま先。
最初に配属されたのは、エレクトロニクスメーカー系列の電子部品会社。携帯電話の検査ラインで基板解析を行う仕事だったが、配属から半年後、お客さま先の人手不足が理由で検査システム設計をやってみないかと持ちかけられた。
「携帯電話の基板が正常に動作するか確認する電気的検査工程と、そこで使用する測定器を制御するためのソフトウェアを設計しました。仕事でシステムを組むのは初めてで、勉強しなくてはいけないことも多くありましたが、何とか要望に応えることができました」
検査工程を2年担当した次の仕事は、製造の履歴を管理するためのデータベースシステムだった。履歴をデータベース化し、製品にトラブルが起きたときなどに、追跡しやすくするためのものだった。
「最初のシステムは検査工程ですから、ラインを流れる製品という『もの』が見える。一方データベースは、形のない『データ』が蓄積されていくので、システムが動く実感が薄いなと感じたりもしました。そこで無味乾燥な生産管理システムであっても、人が触れる操作部分は、見た目に楽しく、ストレスなく使える完成度を目指しました。上長から『城さんの仕事には遊び心がありますね』と言っていただいたのは、うれしかったですね」
このような姿勢が評価されたのか、契約は5年間継続。そのころから「ITエンジニアとして腰を据え、次のステップへ進みたい」と思うようになる。「工場内だけではなく、不特定多数が使うシステム開発にかかわってみたくなったんです。若気の至りでちょっと天狗になっていたのかもしれません(笑)」
営業所に希望を伝えたところ、当時あった「キャリアローテーション制度(※)」を利用しては、と拠点長に勧められ、メイテックに出向することになる。
(※)キャリアローテーション制度:2003年から2009年まで行われていた。メイテックフィルダーズからメイテックへ出向し、メイテックの市場で業務する仕組み。115 名が制度を活用した。
自信喪失。将来に向けての、
選択肢を増やす勉強を始めた。
出向して最初の仕事は、自動車メーカーでの経営向けシミュレーションシステム開発だった。社内の業務改善を担当するコンサルティング部門に配属された城さんは、自社システムの構想を実現するため、開発との橋渡し役として必要要件をまとめていく業務を担当した。だが、そこで力不足を思い知らされることになる。
「システム開発についても、データベースについても知らないことばかり。システム部門ではないためエンジニアは少なく、周りに聞ける人もいない。日々必死で調べて食らいついていくのが精いっぱいでした。でも、私はシステムの世界で生きていこうと決めた。だったら勉強するしかない、と、腹がすわりました」
2008年のメイテックへの転籍を経て、プロジェクトにきりが付くまで勤め上げて契約が終了したのは2009年。リーマンショック後の混乱の中、名古屋ITセンター(当時)に異動し、システム開発の請負業務に連続的にかかわることになる。お客さま先と直接コミュニケーションをとれる派遣と違い、窓口担当以外のエンジニアは、より技術的なアウトプットへの要求度が高くなると感じた城さんは、ここでも業務と並行して、積極的に勉強を続けた。
「スキルには『今必要なもの』と『今は必要でなくても、将来必要になるかもしれないもの』があります。前者は業務の中で獲得していけばいい。一方で、現在の業務だけに目を向け、将来の準備を怠っていたら、いつか働く場所を失うのではないか。『今必要のないもの』を学ぶ努力を怠ってはいけないと考えました」
休日や業務後の帰り道を、学習時間にあて、毎年公的資格を獲得していった。「基本情報技術者」から「情報セキュリティスペシャリスト試験」までその数6つ。体系的に勉強するには資格取得の勉強が有効だと考えたからだ。
つくる自分とマネジメントする自分。
どちらの未来も追い求めたい。
2014年、メイテック社内向けの就業管理システム構築プロジェクトに手を挙げ、7月から社内派遣にて本社業務が始まった。
「動機となったのは、メイテックという会社をもっとよく知ってみたいということでした。メイテックフィルダーズに入社し、メイテックに出向・転籍して、派遣業務、請負業務を経験する中で、ほかの人よりも『会社』を意識することが多かったからかもしれません。また、本社とは『仕事をつくる』というポジション。管理、マネジメント層の仕事の仕方を学べるいい機会だと思ったのです。今後プロジェクトリーダーなど役割を担うときにこの経験は活きるのではないかと」
職場横断的なプロジェクトチームに加わり、2年後のゴールに向けて仕事を始めている。
「将来を考えたとき、大きく二つの方向が考えられるでしょう。『技術のプロ』か『マネジメントのプロ』か。正直、私のキャリアがどちらに振れるのか、まだ分かりません。でも、選択しなければならなくなったときに『一方しかできない』という理由で、選択が限定されるのは嫌なんです。だから、これからもできる限り幅広い知識と経験を積んでいきたいと思っています」
初めての東京で、また一つ選択肢を増やすための試行錯誤が始まった。
※当社社内報「SYORYU」:2014年秋発刊号に掲載した記事です