人と技術で次代を拓く MEITEC メイテックグループ

制御系 生涯プロエンジニア(R) 杉山 嘉朗さん

30歳の挫折。心折らずに「知りたいこと」を追い続け、
奥深い強度解析の道を歩んできた。


●プロフィール
1980年  メイテック入社
1980年~ ロケットの検査
1985年~ 建築CADソフトの開発(施策)
1987年~ 実験航空機の飛行データ処理
1990年~ 航空機主翼構造最適化システムの施策研究
1992年~ 航空機の耐用命数(寿命)計算と評価
1993年~ ヘリコプター構造強度解析
2017年9月 定年到達

日々の業務に飽き足らず、
独学でプログラミングを習得

中高生のころ、将来就きたい職業が3つありました。

一つは天文学者、一つは理科の先生、そしてエンジニアです。

でも、そもそも天文学は能力的に無理、教員免許は取ったけれど働く環境には不安が多い……消去法で残ったのがエンジニアの道でした。

そう決めた私の目に飛び込んできたのがメイテック。
宇宙工学(ロケット)の業務にも携われて、直接設計ができ、しかも比較的入社しやすい(笑)。

1980年。初配属先は、幸運にもロケット発射整備部門でした。

しかし就いた業務はロケットの検査。
お客さま先の検査員が膨大な部品、あるいは組み立ての全体、システム・機能の作動性などを手順書に従って検査したものを、私が項目ごとにデータを収集して手書きの検査成績書にまとめ上げる業務です。

当初は種子島の打ち上げに同行できるからと、技術的な内実を考えることなく楽しめました。
しかし、3年を過ぎたころ、「書類の正確性だけが要求され、技術的な習得はない」と見切りをつけ、当時出始めていたパソコンのプログラミングを先輩に教わって、仕事の傍ら熱中していきました。

ほどなく第二種・第一種情報処理技術者の資格を取得。
職場でもロケット燃料と酸化剤のタンク容量を正確に計測する検査支援ソフトなどの作成に加わりましたが、メインの業務に変化はありませんでした。

ローテーションの希望がやっと実ったのは1985年。
メイテックの社内に新設されたシステム事業部で、建築CAD のソフト開発に携わることになったのです。

「君は使えない」の宣告。
仕事を通じて充実感が回復

二次元から三次元の図面を、プログラミング言語「FORTRAN」で生成させるのがプロジェクトでのミッションでした。
単調な検査業務から解放され、資格も取得した情報処理の仕事に全力で取り組みました。

にもかかわらず、構想通り動かない。
焦燥感ばかり募り、一向に結果は見えてきません。

2年目が終わるころ、上司から「君では無理」、つまり「使えない」と宣告され、業務終了を伝えられました。

エンジニアとして30歳を迎えていた私を宣告より絶望させたのは、「資格が実戦で役に立たなかった」こと。
いくら苦労して取得しても、技術レベルの証明としての資格に見合った即戦力がなければ何の意味もないと、挫折の底で痛感させられました。
今に至る、苦い苦い教訓です。

ただこのとき、会社やエンジニアを辞めたいとは露ほども思わず、「このままじゃ終われない」と、次の実験航空機の飛行データ処理の業務先に向かったことを覚えています。

実験機は短距離離着陸機で、国と現在もお世話になっているお客さまとの共同開発機でした。

滑走路が短い離島などでの利用を想定し、短距離で離陸できるようエンジン排気を下に曲げ、高い揚力を得る航空機です。
すでに実験機は完成しており、私の業務は飛行試験の計測データ収集と飛行シミュレーション。

現在のような3Dビジュアル表示は未開発の時代ですから、操作レバー入力による飛行状態を時暦グラフや数表にするプログラムを組み、飛行シミュレーションする。
久しぶりの高揚感でした。

この実験機プロジェクトは実用機につながることなく飛行データを取得して終了します。

この後、同じお客さま先の社内研究へ参加する機会に恵まれます。

まず携わったのは、既存航空機をモデルにした主翼構造の最適化システムの研究。
主翼外板材料であるアルミ板をどの程度の厚みにすれば最適化(軽量ながら強い構造に)できるかの計算ソフトの開発でした。

次の1年は主翼構造の複合材化研究。
そして、航空機の耐用命数(寿命の計算と評価)プログラムの作成に当たりました。

これらの社内研究は学生時代の卒業研究のようで、とても有意義でした。
また、プログラムづくりの面白さにあらためて行き着き、成果を出せる機会も増えてきました。

挫折のトラウマが癒え始めたのでしょう。

「知ることの喜び」をモチベーションに
構造解析の知見を高める

今現在もかかわっている、ヘリコプターの構造強度解析を手掛けるようになったのは1993年です。

ドクターヘリなどに使われるモデルの全機構造解析や部分構造解析、装備品の取り付け構造解析を終えた後、国土交通省航空局に提出する「強度計算書」を作成し、それを基にした技術説明を実施するまでが私の仕事範囲になります。

解析もかつては手計算でしたが、現在は例えば「NASTRAN」のような便利な構造解析ツールを使っての作業になり、負荷も減りました。

しかし、当初は私にとって全くの未知の分野でしたから、手探りで参考文献を読みあさったものです。
航空力学、構造力学、構造設計、板金、機械加工、材料など「知りたいことを知りたい」が、当時最大のモチベーションでした。

おかげで何とか周囲とも技術的に対等に話ができるようになれたのですが、それを一番痛感したのは航空局から型式証明書をもらうため、検査官へ技術説明する場面でした。

検査官は、こちらが完璧な強度計算書をつくり上げたと確信していても、計算書の行間を鋭く指摘してくる。
「モデル化の妥当性をどう説明するのか」「この解析法の審査規定適合をどう説明するのか」……最初は徹底的に突かれ、言葉も返せませんでした。

宿題を持ち帰っては再度つくり直し、また宿題を与えられては説明に行く。

どんな指摘にも淀みなく回答できるまで5年ほどかかったでしょうか。
それだけの知識と経験が必要だったのです。

不思議なもので、そのころになると図面を見ただけで、指摘されるであろうポイントが分かるようにもなっていました。

経験を積んでも奥は深い。それを
次世代に伝えるのも夢に重なる

例えば構造不具合や事故例を見て、自分なりに構造的原因を予測し、調査結果を確認すると推測通りという経験を幾度かしています。

あるいは設計図でどこが最も壊れやすいかの当たりを付け、実際に計算して「やはり」ということもある。
自慢しているのではなく、25年の経験が押さえるポイントを自然に教えてくれるのです。

と言っても、構造解析の奥は深い。

解析ソフトがいくら便利でも、マニュアルがどれほど充実しても、経験値を超える事象に突き当たることがしばしばです。

だから面白い。

現職場では経験が20年以上の構造解析エンジニアは私一人。

インターネットであらゆる知識を簡単に入手できる時代ですが、人間が相対する中でしか伝わらない経験の重みはきちんと手渡したいと、お客さま先の若手には解析を、EC の後輩たちには航空機技術を教えています。
経験の重さを次世代に引き継ぐ作業は楽しく、かつて憧れた先生の気分を味わっています。

もう一つ。
定年後もしばらく同じ仕事を続けられそうですが、いつか職場を去った後は天文の趣味を再開し、新星を発見して学会から表彰される(笑)のを老後の楽しみにしています。

これで、幼いころからの夢はすべてかなうでしょう。

(インタビュー:2017年6月21日)