機械系 生涯プロエンジニア(R) 加藤 達也さん

「世界を舞台に働きたい」という夢が、
自動車分野にて30年がかりでかなえられた。


●プロフィール
1984年 メイテック入社
1984年~ 機械加工用治具・検査治具の設計、農業用ホイールトラクターの設計
1986年~ 民生用機器の赤外線リモコンの設計
1992年~ 営業支援
1993年~ 電気工事関連特殊車両の設計
1994年~ 複写関連機器の設計
1996年~ 大型インクジェットプリンターの設計
1998年~ 自動車用電装品の設計、プロジェクトリーダー
2004年~ 自動車用電装品の設計、プロジェクトリーダー
2010年~ 社内研修講師
2010年~ 自動車用電装品の設計、プロジェクトリーダー
2013年~ 社内研修講師
2015年~ 自動車用電装品の設計
2015年9月 定年到達

「世界を舞台に働きたい」
「船乗りという意味か?」

東北の漁港に生まれた私は、子どもの時から近所を走り回りながら、ものづくりにも興味を持つようになっていました。
身近にあったラジオを解体して、その仕組みを探っていました。
中学生の時、進学先をどうするかという話の際に「世界を舞台に働きたい」と答えました。
先生は、完全に誤解して「船乗りか?」と言いましたが(笑)。

そんな想いを胸に、高等専門学校を受験したところ、幸い合格することができました。
在学中には苦労したことばかりが思い出されます。
ドイツ語の授業があり、これと材料力学のテストはいつも赤点ギリギリ。
一方で、実習は好きで、砂型を使った鋳物づくりなどはとても楽しく感じていました。

「いつかは世界」ということを夢みて、学校の授業以外にも英語の勉強は続けていました。

とはいうものの、学校を出たのはオイルショックの真っただ中で、就職先もありません。
結局、地元の農業用トラクターの会社に就職することになります。

そこで機械設計の仕事を思う存分することができたのは、大変に幸運だったと思っています。

農業用のトラクターというのは、多目的に使える車両です。
そのため、例えば、畝(うね)に合わせて車輪の幅を調整できなくてはいけません。
作物を踏みつぶしてしまうからです。
このようなことを含めて、複雑で緻密(ちみつ)な機械設計全般を経験できました。

しかし、その会社も経営難に陥ってしまいました。
ちょうど、メイテック(当時は名古屋技術センター)が仙台に拠点を開いたばかりのころ。

「派遣エンジニア」については「大会社の設計部門に派遣されれば、それぞれの会社の風土を知ることができる」と考えて、転職することにしました。

飛び込み営業をしたこともある。
お金を稼ぐ困難も知った

しかし、入ったばかりのメイテックは仙台の市場では実績もなく、エンジニアの派遣先も十分に用意できない状態。

最初の仕事は営業と一緒に近隣の工場を回り、飛び込み営業をしていました。
「何か仕事はありませんか?」

「こんなものが欲しいんだけれど」と言われれば、喜んで請負で加工用の治具の図面を描く。

辞めたばかりの前の会社に「派遣」として赴き、以前と同じ仕事を行ったこともありました。

そのような日々が一年以上続いた後、ようやく本格的に派遣されることになったのが、さまざまな企業にOEM製品を提供している電子デバイスの会社。

私が配属されたのは、テレビやビデオデッキ、エアコンなどのリモコン装置を設計している部署でした。
構造的には複雑なものではありません。
しかし、樹脂部品の宿命として、あちこちに外観不良が発生するものです。

また、金型を作り、そこから作られた複数の部品がピタリと組み合わさらないと、作り直しになってしまいます。
当時の金型は数百万円しましたから、失敗は許されない、と手が震えたのを覚えています。

面白い仕事もいろいろとさせてもらいました。
ビデオ録画の予約のために、バーコードスキャンできるリモコン(実際は、技術競争に負けて主流にはならず)、エアコンの加湿器とリモコンを一体化させた謎の製品……など。
この期間に、製品化できなかったものも含めて、自分たちの仕事が単に設計すればいいのではなく、最終的に会社に利益をもたらすことができなければ意味がないことを分かったことは、大きな収穫となりました。

分野の異なる仕事にも、
一つ一つを経験の力に変えてきた

仕事は充実していました。
しかし、そこでバブル崩壊が起こり、契約は終了になります。

再び営業支援。
何もせず拠点にいても仕方がないので、電話をかけて「仕事はないでしょうか」と営業をかける。
やっと出合ったのは、電気工事関連の特殊車両の設計。
太くて重たい電線を敷設するために、ウィンチで引っ張る、大きな荷重のかかる機械を設計するには、最初の会社で経験したトラクター設計の考え方が活きました。

複写関連機器の設計では、企業の秘密保持の観点から、何段もあるトレイに鍵をかけ、管理する機構設計を行いました。
複写機では必ず起こる紙詰まりを追放するために、ありとあらゆる紙の種類を集め、何万枚もの印字テストをし、どこで紙詰まりが起こるか調べることを繰り返しました。
その延長線上で、最初に配属され、リモコンの開発を行っていた会社に戻ることになります。

最初に任されたのは、大型プリンター。
紙幅1.4mという巨大なサイズのプリンターで写真画質を実現するものです。

ヘッドの動きや紙送りにさまざまな不安定な負荷が発生します。
それで画像が乱れることを防ぐため、機構部分をどのようにスムーズにするかということに大きな知恵を注いでいきました。

ついに「世界を舞台に」働いた!
自動車ステアリングスイッチ分野で

そして、エンジニアになって22年目、同じお客さま先でついに、私がずっと望んできた「世界を舞台に」する仕事に出合うことができました。

それは自動車のステアリングスイッチの設計チームでの仕事です。
超高級外車メーカーからのOEM。
曲線的に美しくデザインされたステアリング上に、いくつものスイッチが並んでいることをイメージしてもらうと分かりやすいでしょう。
それぞれのスイッチには光源が仕込んであり、光によって浮かび上がってくるような構造になっています。
これらをすべて要求仕様にあった色調、同じ輝度にするという課題に応えていきます。

ステアリング周りの業務に結局、延べ13年間かかわることになりました。
最初は自分で設計をして、やがてはプロジェクトリーダーとして、コスト管理から開発まで総合的に管理していく仕事をさせていただくまでになりました。

アメリカやドイツの自動車メーカーに赴き、「このような技術により、実現します」とプレゼンテーションを行う。
また、コストを最適化するために、金型はアメリカで製造し、メキシコに送って組み立てる、というような計画を立て、現地交渉を行うような仕事が続きました。

リーマンショックで一度、契約終了になりましたが「また来てほしい」と呼び戻されたのも、ありがたいことでした。

ただ、海外メーカー相手の仕事は、時差の関係で深夜・早朝のテレビ会議が常態となるなどで、体力的にきつく、お客さまにお願いをして契約終了。

直近2年間は社内研修講師として、新入社員研修にかかわってきました。
私の経験をもとにして「サービス業とは何か、設計ができればいいというものではない。いかにお客さまの満足を勝ち取っていくか。それがキャリアアップにつながり、自分の夢の実現につながる」ということを伝えてきました。

仙台に拠点ができて、最初に入社した私は、ここで最初の勤続30年表彰を得たエンジニアになることができました。

そして、夢物語だと思っていた「世界を舞台」にする仕事もできた!

何より、 東北の地でメイテックが求める「生涯プロエンジニア(R)」の先駆けに加わることができたのは、私にとって大きな喜びであり、誇りです。

(インタビュー:2015年6月26日)

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