機械系 生涯プロエンジニア(R) 杉山 友博さん

「絶えず考えること」を身上に、洗濯機、車載部品の
新しい価値を生んだ。エンジニアとは、生き方そのもの。


●プロフィール
1981年 メイテック入社
1981年~ ファクシミリの外装、光導部、機構部、印刷部の設計
1984年~ 洗濯機外装、洗浄部、機構部、コントロールパネル部の設計
1986年~ 空気清浄器の外装試作設計
1987年~ 電磁調理器の外装試作設計
1987年~ 車載用ワイパー内蔵式サイドミラー試作品の設計
1988年~ 車載用オートクローズグローブボックスの試作設計
1988年~ 車載用モーター式ムーブメントの試作設計
1990年~ 車載用電気式オド、トリップメーター、クロスコイル式ムーブメントの設計
1994年~ 車載用クロスコイル式ムーブメント、組付け治具設計
1995年~ 車載用ステッパモーター式ムーブメント設計
2001年~ フェライト焼結リングマグネットの金型構造の立案
2001年~ 各種自動車メーター関連先行開発
2011年~ 車室内照明用の移動型ライトの開発
2013年~ 車載用可動照明、ディスプレイ可動機構、収納、室内照明、文字板移動機構の開発試作、物押え構造の検討
2016年9月 定年到達

初めての職場で心に焼き付けた
エンジニアの姿

子どものころから宇宙が舞台のTVドラマとかプラモデルづくりが大好きでした。
工業高校入学後、製図と出合い、頭の中のイメージを図面にすれば誰もが形にできる、という面白さを感じ夢中になりました。

ものづくりの仕事にかかわりたいという想いと、学生当時、音楽が趣味だったこともあり、就職先は地元の大手楽器メーカーを選びました。
 
研修を終え配属になったのは、ピアノやスキー用の板材の加工機械を造る生産技術部門。
期待していたフルートやギターをつくれるわけではないし、好きだった図面にもかかわれない。
当初の夢がしぼみつつあったある日、朝から工作台の万力を使い何かを削っている人物に気付きました。

ノーネクタイで無口なそのおじさんが、入社式の際「私はエンジニアだ」とあいさつした社長だと思い当ったのは数日後。
その後も言葉を交わす機会はありませんでしたが、その経営者の姿は「エンジニアのひよこ」だった私に、強く印象を残すことになりました。

役職は「社長」でも、あの方のものづくりへの向き合い方、考え方はエンジニアそのものだったのだろうと、今になって理解できているところです。
 
3年後「これからの人生を模索したい」と青臭い理由で退社し、ブラブラしたり、音響機器の製造設計に就いたりしましたが、どうにも満たされない。

ある朝、ラジオでたまたま流れていた「メイテック静岡営業所開所」のCMに興味を持って応募したら、その日のうちに採用決定(笑)。
会社の業態も仕事内容も正確に理解しておらず、ただ「ここを踏み台に、やがてエンジニアとして大きなステージで輝ければ」とそろばんを弾いての入社でした。

「考えろ、考えろ」と言われ続けた先に
新しいものが産み落とされた

入社後、最初の配属先での業務は、神奈川でのファクシミリの外装や光導部・機構部の設計。
お客さま先の担当者にも恵まれ充実していましたが、私事で静岡にUターンし、電機メーカーで洗濯機の開発に携わることになります。

20代の終わり、私の一大転機でした。
当時、そのメーカーは洗濯機では最後発組で、協力会社が細々と製造していました。
そこで洗濯機部門を強化したいと各地から技術者が集められた開発チームでした。
 
ほとんどゼロからの開発は「どんな機能・機構を持った製品にするか」を1泊2日で議論することから幕を開けました。

製品のコンセプトはすぐに「洗濯物が絡まない洗濯機」に絞り込まれます。
パルセーターと呼ばれる羽根を持ち、高速回転で激しい水流を発生させて汚れを落とすという当時主流だった渦巻き式ではなく、攪拌(かくはん)式の洗濯槽を備えた洗濯機。

ただ攪拌式は、モーターが一方向にしか回らないため、反転させないと絡まってしまいます。
試行錯誤の末、パルセーターが300度動くとモーターが10回反転するような、負荷センサーを付けることに。

センサーは磁石とコイルの組み合わせで通電すると回転数が決まる。
洗濯機初となるこのセンサーの採用で、パルセーターのトルクをアップさせ、洗濯物の重量に見合った攪拌が得られる方式の開発に成功したのです。

ほかにも2つ折りのふたや前面コントロールパネルを搭載し、従来にない画期的な商品でした。
この開発で自分に自信が持てるようになり「エンジニアに何が大切か」を学べた、転機になる業務でした。
 
この業務で特に忘れられないのは、開発の途中、試行錯誤で手が進まない時、お客さま先の課長が近寄ってきて言う「考えろ、考えろ」という言葉。

また、開発に目途がつき一息ついた際にも言われる。
「こんな設計をしたかったという思いがあるでしょう。開発に終わりはないよ」。
おかげで自分の経験に加え、興味を持って見たり、聞いたりした知識を一度細かく砕き、粉末の中から拾い集め、「自分の考え」で新しいものをつくり上げる、苦しさと楽しさを知りました。
 
「無」から「有」が簡単に産めるほど開発は単純じゃない。
有を産むのに大切なのは「絶えず考えること」と腹に落ち、以後、エンジニアは生きる術=職業ではなく「生き方」そのものだと思うようになりました。

新しい道の入り口は請負業務期間中に
学んだ二次元CAD

洗濯機の開発が一段落し、同じお客さま先で空気清浄機や電磁調理器の試作設載用ワイパー内蔵式サイドミラーの試作品設計に当たりました。

この時二次元CADを覚えたのです。
手描きの時代はギアを一つ描く際、同じ作業を半日繰り返すような労力が必要でしたが、CADでは変数機能を使えば違う仕様のギアが難なく描け、効率が圧倒的に良くなる。

CADを覚えたことが、その後の配属で、自動車部品の先行開発業務に踏み出すきっかけになり、現在まで続く長期業務となっています。
メイテックでは、道が不思議とどこかへつながっているものだとつくづく感じます(笑)。
 
今のお客さま先へ配属されて10年間は、ムーブメント、スピードメーターを動かす指針づくりを担当。

モーター式ムーブメントから、90度にクロスさせたコイルに電流を流し磁界を変えるクロスコイル式、さらに現在の主流である電気センサーで動かすステッパモーター式へと進化してきた機構の開発に一貫して携わりました。
 
目の前に次々と立ち現れる課題を考える面白さが、すべてモチベーションに変わっていたように思います。

DNA を未来に手渡すための
「輝く舞台」がメイテックだと思う

現在も同じお客さま先に籍を置き、車内でモーターを使って駆動させる機構や部品の先行開発を担当しています。
アイデアを図面にして上司に諮ると同時に、経験やノウハウを若手・中堅社員に伝える機会も多くなりました。

幸い、定年後も変わらずに働けそうです。
ものづくりが好きだという気持ちも、年齢にかかわりなく一向に衰えませんから、まだまだ現場を楽しめると思います。

「ひよこ」の時代に夢見た「エンジニア」の道を、今後も歩める経験を積ませてくれたメイテックには心から感謝しています。

入社当初、不遜にも踏み台と考えていた会社ですが、その後お客さま先で景気の浮き沈みやそこで働くエンジニアの行く末を目にした今は、定年までエンジニアを続けられたのは幸せと言うしかありません。
ここがまぎれもなく、私の輝く舞台でした。
 
だからこそ、後輩にも誇りを持って働いてほしい。
インターネットで単語だけを仕入れ、五感の大切さをないがしろにしてはいないか。
エンジニアとしての生き方を心から楽しめているのか。
時に振り返ってじっくり考えてみてほしいです。

物事を精緻に分析し、判断し、絶えず考え、新しいものを生み出すのがエンジニア。
だからこそ私も含め、一人一人がメイテックで過去から培ってきたDNAを未来につなぐ使命を与えられていると思うのです。

(インタビュー 2016年6月17日)

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