機械系 生涯プロエンジニア(R) 堀川 正幸さん

板金設計技術から樹脂の奥深さを知り
筐体設計の領域で、「困難」を「できる」に変えてきた。


●プロフィール
1985年 メイテック入社
1985年~ トラクター外装・シャーシなどの部分設計
1986年~ 銀行向け端末機器の筐体設計
1989年~ パーソナルコンピュータの筐体設計
1990年~ 銀行向け端末機器の筐体設計
1991年~ 銀行向けATMの筐体設計
1993年~ カードリーダーの筐体設計
1994年~ 伝票処理装置の筐体設計
1994年~ CD機の紙幣搬送機構設計
1995年~ ATMの筐体設計
1996年~ 郵便物仕分け機の筐体設計
1997年~ 銀行向け端末機器の筐体設計
1997年~ 中国向けATMの筐体設計
1998年~ ドットマトリックスプリンターの筐体設計
2002年~ インクジェットプリンターの筐体設計
2012年~ 薬液流動装置の設計開発
2014年~ 駅ホーム自動安全柵の設計開発
2015年~ 新卒研修講師対応
2016年~ ビジネスプリンターの筐体設計
2017年3月 定年到達

遠回りもしたが、
やはり自分はエンジニア

技術一筋、脇目も振らないエンジニア人生もありますが、私の場合は技術から離れることも経験し、世の中の動きや人の気持ちに心を配って筐体設計の分野で自分の幅を広げてきました。
 
大学での専門は機械工学。解析を卒業研究のテーマに選びました。
X線を鉄鋼に照射し、残留応力の測定をする。
そのためのデータをひたすら採取する毎日で、仲間とチームを組み作業を進めていく困難と面白さが記憶に残っています。
 
就職のころには漠然とカメラ・文具などの工業デザインの世界に関心を持っていましたが、就職難の時代にあれこれ迷う余地はありません。

実習でお世話になった機械メーカーに就職を決めました。
ダムの開閉などにも使われるモーター付きのギアをつくるメーカーです。

ギアの中には風力発電で使われる巨大なものもあり、そのスケールには圧倒されましたが、基本を覚えてしまうと、ひたすらギアを設計することに物足りなさを感じ始めます。
限られた場所と分野で仕事をする環境から出て、違う世界を見てみたくなったのです。

そこでまったく畑違いの広告代理店に転職し、1年間営業の仕事を経験しました。
営業車に乗り街を行く、それまでとは全然違う毎日。
楽しくはありましたが、一生続けるか、といえば「自分の基本はやはりエンジニア」。
技術の世界に戻ろうと思うようになりました。
 
そんなとき学生時代の同級生が入社したメイテック(当時は名古屋技術センター)が中途採用をしていることを知り、応募することにしました。
絶対に入社するつもりでしたし、エンジニアとしてはブランクがありますから、試験勉強もしました。
営業車に昔の教科書を積んで、時間を見つけては微積分の復習をしたりしてね(笑)。

入社試験の後、見学した社内にドラフターが並び、たくさんのエンジニアが設計する姿を見て「また、この世界に戻るんだ」と胸が熱くなったのを思い出します。 
 
入社した1985年は社名が変更になった年で、前年の暮れに試験を受けた時は「名古屋技術センター」で、入社時には「メイテック」になっていました。

超厳格なお客さまにも
きめ細かさで対応した

最初の勤務地は長野県。
重機メーカーでトラクターの設計に携わりました。
シャーシ、ボンネット、ブレーキパイプなどの部品設計です。

アメリカ向けのトラクターで、その顔つき(外観デザイン)が日本のものとは全く違い、「かっこいいトラクターだな」と思ったものです。
 
ブランク明けのハードルも「疑問に思ったことは素直に聞く」という姿勢で乗り切りました。
二次元CADでの設計を覚えたのもここです。

初めてのお客さま先で、初めての業務をどう吸収するか、自分なりの方法を得た時期。
メイテックのメンバー5名との一軒家での寮生活も、学生時代に戻ったようで楽しかったですね。
 
2年後、名古屋に戻り、重電メーカーに配属されます。
業務は金融機関向け端末機器の筐体設計。

金属加工する際「こんなものをつくりたい」と言われても、「これ以上曲げると強度的な問題が生じる」といったように金属の性質上難しいこともあります。
そんな制約を乗り越えつつ、続々と新しい案件が舞い込んでくる多忙な時期を経験。

別のお客さま先での機器設計業務も挟みながら、通算で10年以上をこのお客さま先で業務しました。 

このお客さま先の社風は非常にシビア、かつ細かい(笑)。
図面の表現一つや文字の大きさまで指摘されますが「仕事は細かいところにまで気を遣うべし」ということだな、と解釈していました。
要は受け取り方です。

そして、ここでの経験は「関係構築が難しい相手とどう信頼を結ぶか、どう自分から働きかけるのか」という行動の基盤となりました。

納期通りに確実にアウトプットを行い、問題点は自分の考えとともに説明をしっかりする。
一度や二度突き返されてもあきらめない。
その繰り返しが「彼なら任せても大丈夫」という信頼につながるのではと思っています。
 
この時期までは板金による筐体設計が主でしたが、途中1年だけパソコンの筐体を担当し、樹脂を使う設計を経験。
この樹脂設計が、40歳以降の業務の主軸となっていきます。

今思うと、この時経験できて良かったですね。
なんでもやってみるものです。

加工・製造まで踏まえて
形状を考えるのが設計

40歳を過ぎて再び長野へ。
家の事情で希望を出し、営業担当者と相談して「樹脂設計の経験があるなら」と実現した異動です。

ドットマトリックスプリンターおよびインクジェットプリンターの筐体設計。
ここから本格的に樹脂の奥深さとの付き合いが始まります。 
 
板金と比べると形状の自由度が高い樹脂設計ですが、どんな形でもできるというわけではありません。

「こんなものがつくれるか!」と金型や製造の担当者が怒り出すような設計にならないよう、デザイナーがデザインした形状を基に、「金型にする」「金型から型を抜く」「製造する」「組み立てる」というそれぞれの過程を踏まえ、実現可能な形状に落とし込みます。

電気やシステムの担当者との交渉ごとも多く、私が「熱を逃がす穴を筐体に空けたい」と言えば、電気の担当から「その穴からノイズが出る、なんとかして」なんていう攻防もありました。
そんなやりとりの末につくり上げた製品には愛着がわくというもの。

家電量販店で並ぶプリンターを見ると、一つ一つ関係者の顔が浮かんできます

「難しい」を乗り越えるごとに
感じるエンジニアの喜び

2012年まで約14年業務した後、お客さま先で人員再配置が行われることになり契約は終了しました。
職場を離れる時にはお客さま先の皆さんがお金を出し合って、私が担当したプリンターをプレゼントしてくれました。
今でもそのプリンターは、忘れられない思い出とともに、自宅で元気に稼働中です。
 
その後、医療機器設計などの業務や厚木テクノセンターでの新入社員研修講師経験を経て、2016年から再びプリンターの筐体設計の業務に就いています。

担当しているのは業務用の大型プリンター。
前回配属されたときとは違い、樹脂もプリンターも要点が分かっているため、スムーズに対応することができています。

試作用の部品づくりもしていて、細かい作業ですが子どものころからの模型好きのため、苦になりません。
そのあたりも重宝がられている理由かもしれませんね。
 
プリンターは、20年前とは比較にならないほど小型化が進み、筐体の肉厚も半分ほどに。
また、三次元CADの進化により、形状もどんどん複雑になってきました。

しかし、金型をつくって、型抜きをする、といった製法の基本は変わりません。
その中でどれだけ実現不可能そうに見える形状を可能にできるかが私の腕の見せ所。

「これは難しいよね」というデザイナーからの要望に着地点を見いだせたときには、やはりエンジニアとしての喜びを感じます。
 
さまざまな紆余曲折はありましたが、結局すべてはつながっていて、ここに至ります。
筐体という分野で、無理難題を実現する私のスキルが認められる限り、まだまだ続けていこうと思っています。

(インタビュー 20117年1月18日)

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