機械系 生涯プロエンジニア(R) 鈴木 令さん

超えたいと思える人に次々と出会えたおかげで
衛星から光ファイバーまで設計を広く楽しめた。


●プロフィール
1985年 メイテック入社
1985年~ レーザープリンターの開発設計
1987年~ 砂漠走行用大型トラックシャーシ部のレイアウト設計
1988年~ 技術試験衛星の開発設計
1991年~ 地球資源探査衛星の開発設計
1993年~ 大型トラック部品切削用全自動化設備設計
1994年~ 通信衛星の開発設計
1996年~ 宇宙ステーション用計装機器設計
1998年~ 技術試験衛星の開発設計
1999年~ インクジェットプリンターの外装設計
2000年~ 高レベル廃液ガラス固化貯蔵施設用設備設計
2000年~ 半導体生産設備ライン整備
2001年~ 光線路監視装置の筐体設計
2004年~ 社内派遣による技術社員教育
2004年~ 家庭用ファクシミリの開発設計
2005年~ 複合機プリンターの開発設計
2007年~ 光ファイバー素材製造装置設計
2010年~ 光ファイバー製造装置設計
2011年~ 光ファイバーレンズ自動生産設備、自動切断装置設計
2015年9月 定年到達

設計の面白さを教えてくれた
中学時代の一枚の三面図

もう40年以上も前の、中学の技術家庭科の時間。
溝にロット棒を置き、位置が出せるVブロックの三面図を起こす授業がありました。

最終の出来栄えはどうだったのか思い出せませんが、理数系の苦手な私が「ルールに従って図面を描けばものがつくれる」という事実に感動したことは鮮明に覚えています。

その一枚の図面が、「メイテックのエンジニアは天職」と後輩たちに公言している今の私のスタートでした。

工学部の機械工学科を終え、中学からの夢だった「設計部」を第一志望に自動車関連部品会社に入社したのですが、配属先は生産技術。

部品をスポット溶接するための位置決め治具製作から生産ライン設計までを幅広く担当する部署で、設計一筋というわけにはいかない。

不満はありましたが、工場全体のラインレイアウトや人員配置などを俯瞰して見渡せる生産技術には優秀な先輩が多く、吸収する分野も広く、私の技術的な基礎はここでつくり上げられたと感謝しています。

加えて、現場の人たちとの垣根を越えた飲み会が頻繁に開かれ、コミュニケーションを実践で学びました。

しかし7年目。
吸収合併された後の社風や配属部署にどうしてもなじめず、メイテックへの転職を決めたのです。

「自分の実力を見極め、3年ほどしたら辞めよう」と、不遜(ふそん)な考えを持っての入社でした。

「超えたくなる人に会いたい」が
目標になった初職場での衝撃

初業務はレーザープリンターの開発でした。
1985年秋のことです。
大手電機メーカーの200人ほどの複写機部門が、国家予算でプリンターの新規開発にあたっていた職場です。

私の担当は樹脂・機構・板金の設計。
手描きの元図や試作機を実際に測り、組立図や部品図にしていく。

元図はメーカーのエンジニアのラフスケッチですから、図面の体を成していない。
それを詳細な実際図に起こせる人がいないので、メイテックに声が掛かったのでしょう。

静電気で給紙がストップしない材料は何か、板金部分を軽量化するにはどんな手法が最適なのか……課題に伴う図面は当然多くなるのですが、以前の会社のスピードで描き進めると、仕事は午前中で終わってしまう。
仕方がないので、実験室で試作機を分解したり組み立てたり(笑)。

ある意味ゆったりとした職場でした。
しかし集められているメーカーの人たちのレベルは、飛び切り高い。
一つを聞くとすぐに5通りの考え方やアイデアが返ってくる。激しい議論をしても、きちんとこちらの言い分は理解してくれ、良い関係が築ける。
周囲には、そんな人が何人もいたのです。

そして私の業務最終日。
あいさつをした後、関係者全員が整列し、拍手で見送ってくれました。
去る者をたたえる行為が自然にできる。
人間としての格が違うな、と衝撃を受けました。

「じゃあ、次のお客さま先でも必ず超えたくなるようなすごい人に会えるのでは」
そう確信し、自分の力量を推し量る意味も含め、技術的なことはもちろん、人間としてのレベルが高い人に会うのが今に続く目標になります。

しかしそれはメイテックだから可能な望みと気付き、「3年で辞めよう」などという気持ちは、この時点で消え失せました。

物足りなかったが、衛星に賭ける
情熱が聞け、設計思想にも納得した

その後は短期間の仕事が多くなりますが、切れ切れながらも比較的長く携わったのが衛星関係です。

この分野は、先端ではあるけれど、新しい技術が生み出される余地はあまりない。
どんなに日本製品の技術やコストパフォーマンスが優れていても「安全が担保」されていなければ決し使えず、実績が優先されます。
その意味では、エンジニアにとって物足りない職場でした。

ただやはり、よりすぐりの人たちが集められていて、例えば担当課長は開口一番「仕事を好きになってください」と。
続けて「困ったことがあれば何でも相談してください」とも。

ところが「困ったこと」なんか、起きやしないんです。
こちらが困る前に、その課長さんがすべて手を打っている。

また航空宇宙を専攻してきた人たちが「太陽の角度は」「軌道の解析が」と熱く議論しているのをはたで聞くのも楽しい時間でした。

刺激を受けた私も、一生懸命やらざるを得ませんでした(笑)。

当時の仕事で印象深いのは、技術試験衛星用の大型展開アンテナの開発です。
最先端材料である比重1.8のCFRP(炭素繊維強化プラスチック)を使い、真ん中にアルミ箔をサンドイッチ状に挟んでハニカム構造にし、それをつないで3.5m直径のアンテナにする。
軽量化のため根元は超超ジュラルミンをくり抜いた一体化加工構造で、バッテリーは太陽光電池パネル。

ほとんどすべてが先端材料での試行錯誤の末、衛星は打ち上げられたのですが、周回軌道に乗った直後、アンテナが開いていないのではないかという連絡が入りました。

ヒヤリとしたものの、間もなく所定の情報が届き、正常な作動が実証され、「開いている」ことが確認できました。

もう一つは重量計算。
軽量化のため部品の曲線をもう少し削れないか、削れるとしたら何グラム減らせるのかの攻防が延々続く。
削れると判断したら穴を開け、解析作業です。

この繰り返しにウンザリはしましたが、「なぜそうしなければならないのか」という設計思想を知り、納得しました。

要は「人命にかかわる設計の方法・考え方」なのです。
有人衛星でなくても、人命にかかわるという観点で設計を始めれば、安全性のレベルは必然的に高くなりますから。

メイテックも社員も幸せになる道を
自分なりに考えたい

2004年、衛星から離れ、携わることになったのは家庭用ファクシミリの開発。

初めてCADを使い、印刷品質や操作性を上げる機構の改良に取り組んだのですが、コンマ単位の自動給紙機構の組み立てやすさ、バラしやすさは突き詰めれば金型技術に突き当たる。

この金型分野にも、町工場の職人さんをはじめ、上には上が必ず存在しました。

その後は光ファイバー関係が業務の中心となり、直近まで光ファイバーレンズの自動製造装置を手掛けていましたが、定年を前に今、「まったく新しい分野の仕事をしたい」とお願いしています。

これまでの経験が活きなくてもいいからと(笑)。


理由は明快。
メイテックで定年まで勤め上げたエンジニアは、柔軟性や対応力の面でメーカーの方と比べ、格段に優れているという自負があるからです。

それを、新しい分野で働き続けながらアピールし、メイテックの派遣のあり方やメイテック自体をもっとよく知ってもらいたいのです。

世の中の幸せにメイテックが貢献していると知ってもらえれば社員は幸せな気分になるし、家族もうれしい。

だから「メイテックは良い会社ですね」と、他人の口に上るようになるにはどうすればいいかを非力ながらも考え続けたい。

メイテックが好きだという以上に、優れた人に会ってきたからこそ自然に導かれた回答なのかもしれません。

(インタビュー:2015年6月17日)

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