機械系 生涯プロエンジニア(R)松場 喜久男さん

搬送分野一筋。「社員の一人」として業務に臨み、
お客さま先に「技術を残す」が信条。


●プロフィール
1978年 メイテック入社
1978年~ 航空機部品の治具製作
1978年~ プリンターの設計開発
1980年~ 海外および国内向けFAXの設計開発
1992年~ 人工衛星の光学系部の設計開発
1993年~ 電子高解度露光装置および電子製番装置の設計開発
2006年~ 基板自動露光装置の搬送装置の設計開発
2007年~ 大型インクジェットの高精細印刷機ヘッド搬送部の設計開発
2010年~ フラットパネルディスプレー製造装置の機構設計
2012年~ ネットワーク接続機器の設計開発
2012年~ 箔押し機、カッティング機、フラットベットUV印刷機器の設計開発
2016年9月 定年到達

やんちゃな少年時代、
腕一本で生きたいと願った

子ども時代はやんちゃでした。台風の次の日に川や海で泳いだり、爆竹を使って大砲のおもちゃを自作してみたり。
よく怒られましたね。
そんなふうに野山を駆け回って過ごした故郷は三重県です。

海山町という地名の通りの海と山林の町で、実家は農林業。
会社員という働き方にいま一つピンと来なかったのは、そのせいかもしれません。

工業高校で技術を学んで、将来は設計事務所を設立するなど腕一本で生きていきたいと考えていました。
 
卒業後は、自動車エンジンメーカーに就職しました。
しかし技術職のつもりが、配属先はラインでの据え付け作業。
採用時の「いずれは設計に」という話を上司に確認すると「そんな話は知らんぞ!」と言われてしまい、電気通信学校に通って資格を取り就職しなおすことに。

2度目の就職にあたってあらためて考えたのは、やはり設計の仕事をしたいということでした。

別の会社の採用試験も受かっていたのですが、メイテック(当時は名古屋技術センター)の求人広告に躍る「設計」の文字を見て「ここなら」と思い、入社を決めました。
 
当時名古屋市の矢場町にあった本社には請負部門があり、航空機の部品設計をしていました。
研修を兼ねてそこで基本的な設計のやり方を教わり、入社後3ヵ月間製図に明け暮れました。

車好き、バイク好きだったので「エンジン部品の製図」にはときめきました!
でも描くのは大きな構造物の中のごく小さな部品。
エンジンのどの部分なのかさっぱり分かりません。
想像をたくましくして「中枢部のこの辺に違いない」と考えたりしていましたが、なんだか味気ない。

この経験が、後に「できるだけ業務や製品の全体を知ろう」という姿勢につながったのだと思います。

全体を知り、知識を網羅することで
仕事の面白さが見えてきた

初めて配属された家電メーカーではドットプリンターの設計にかかわりました。

ドットの数だけ細かい針がついているヘッドを動かし、インクリボン上から圧力を加えて印字する、当時主流の機械です。

評価や製図のポイントをメイテックの先輩に学びながら業務して2年。
そろそろ次のステップに進みたいなと思っていたある日「新しい仕事をやってみたい人はいるか?」と先輩から声が掛かりました。
いいタイミングとばかりに手を挙げたところ、神奈川県の家電メーカーでFAXの開発にかかわることになったのです。
 
配属されたのはとにかく忙しい部署でした。
バブル経済のまっただ中、半年に一度新製品を出すことを求められ、低コスト・高速化・小型化・新機能の追加などに次々と取り組む毎日。
しかし忙しいぶん何でも任されました。

当初、私の仕事は搬送系でしたが、徐々にカバーやパネル、ギアの設計へと広がり、マニュアルで使うテクニカルイラストや梱包材など外部発注の指示出しも行うように。
結局設計から出荷までの全工程にかかわることができたのです。
 
また、大量生産品だけに金型はふんだんに使用でき、樹脂・板金・金型という機械系の主要技術知識を網羅して吸収することもできました。

製品も工程も、今自分がしていることが全体のどの部分なのか理解した上で仕事ができ、課題解決に臨める醍醐味(だいごみ)を実感。
ここでエンジニアとしての土台をつくることができました。
 
「自分もお客さま先の社員の1人」の意識で、考え、提案し、取り組むことで仕事の面白さは広がる。
何でもやるという状況の中でそんな信条を持つようになったのもこのころからです。

12年続いた契約はバブル崩壊の影響で終了しましたが、一緒に仕事をした仲間とは、社員・メイテックの垣根なく今でも交流があります。

英国への長期赴任で
国際的に評価される製品を実現

短期の契約をはさんだ後の1993年からは印刷機械メーカーに配属されました。
フィルムに関する豊富な技術をお持ちのお客さま先で、そこから発展して4色印刷のフィルム製版機械をつくっていました。

私の役割は、露光装置搬送部の機構設計。
搬送はジャム(詰まり)、傷、スキュー(ズレ)、そして静電気との戦いです。

特に静電気は、参考にできる対策資料が当時はあまりなく、課題が発生するたび試作とテストを繰り返して、求められるスペックを実現。
FAX時代から積み上げた自分なりのノウハウ・経験がずいぶん役立ちました。

また、製品は時に思いもよらない使われ方をすることがあります。
納品後に精度が出ないとクレームを受けて「そんなはずはない」と思いつつ現地で確認すると、機械の設置場所の床がベコベコに軟弱で、動作時の振動で機械が上下に動くほどだったなんてことも。

そんな驚きも大事な経験として蓄積していきました。
 
このお客さま先での契約は17年間継続しました。
その間、フィルム製版からアルミ板にコンピュータデータを直接焼き付けて版にするCTP(コンピュータ・トゥ・プレート)になったり、プリント基板用の露光装置やインクジェットの高精細印刷機を担当したりと変化していきましたが、搬送精度向上のために格闘することに変わりありませんでした。
 
海外勤務も経験しました。

お客さまが企業買収によりイギリスの印刷用デジタル機器製造会社を傘下に収め、その技術を調査し販売製品をラインアップするために渡英したのです。

ところが既存品の改造を行う予定が、それでは目標をクリアできないことが分かり、結局現地で新機種を開発することに。当初半年の予定だった赴任期間は5年に延びました。

英語はできませんでしたが、そこはエンジニア同士。
コミュニケーションは図面と手描きイラストで何とか乗り越えました。

最終的に当時として世界最高速の機械を世に出すことができ、私も一緒に各方面からの表彰をいただいたのは良い思い出です。

搬送技術をさらに広げ
カッティングマシンで腕を振るう

2012年からは、新しい製品分野で業務に就いています。

製図機械に実績を持つお客さま先で、各種表示や車などに貼るステッカーをシート印刷し自動でカットするカッティングマシンの設計。

以前は業務用がほとんどでしたが、小型の機種も増えている機器です。
シートとヘッド(カッター)を正確に動かして、データ通りカットしていく機械ですから、これまで培ってきた搬送技術を存分に活かせる分野です。
 
長年続けてきたメイテックのエンジニアの働き方は、私にとって心底面白いのです。
与えられる課題は困難で、ぎりぎりの選択を迫られることも多い。

しかし、だからこそ「自分しかできない」アウトプットを実現できる。
自分が担当する部分の周囲にあるユニットや、使用時の条件など全体を理解し、お客さまと一緒に最適解を出すために難問に取り組むことは本当にわくわくします。

高校のころ描いた設計事務所の夢も、続けるうちにこの面白さには代えられないと考えるようになり、とうとう定年を迎えるまでになりました。
 
現在のプロジェクトが完了する数年後までは契約は継続すると聞いています。

やる以上はお客さま先の技術や、カッティングマシンという領域全体の進化を残す仕事をしたい。
そのためにこれからもわくわくしながら悪戦苦闘を続けていきたいですね。

(インタビュー 2016年6月29日)

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