IT系エンジニア 秋本 亮助さん

●プロフィール
2011年  キャリア入社
2011年~ コールセンター業務向けシステムソフト開発
2012年~ 産業装置向け生産管理(誤装着防止、トレーサビリティ)システムソフト開発
2013年~ 半導体装置向け、消耗品製造装置(内製)向けのシステムソフトおよび装置制御ソフトの開発
2015年~ 内視鏡生産向けのシステムソフト開発
2016年~ 光学設計支援システムソフト開発

人に喜ばれるシステムを開発する。
その環境は自分がつくりだす。

情報マネジメントを学び、
物流の仕組みづくりに関心を持つ。

大学卒業後、技術系ではなく販売系の仕事を経験した秋本さんは、紆余曲折の末、人と協力しながら、システムをつくりあげていく仕事の喜びを知った。

「子どものころはエンジニアになるとは考えていませんでした。プログラムに興味を持ったきっかけは、家にあったパソコンでゲームをしたことですね。高校時代には、『大学なんか行かない、資格を取って就職するんだ』と考えて、第二種情報処理技術者試験の勉強をしたことがあります。でも、結局は資格が取れず、大学で情報マネジメントを勉強することになりました」

そして、大学で「仕組みづくり」に関心を持ち、いつかは物流システムをつくりあげたいと考えるようになった。そのことが将来のキャリアにつながる出発点となる。

「生活協同組合(以下、生協)における配送業務の変化を勉強したことが私の転換期になりました。物流システム全体を数学的にとらえて、最小のコストで商品を消費者に届けるには、どうすればいいのかという研究で、あれこれと考えて道筋をつけていくのは楽しかったですね」

卒業後、販売系の仕事を短期間経験してから、生協に転職する。そこで配送の仕事を担当しながら、生協の物流システムの根幹に触れる、システム開発部門への異動希望を出し続けた。しかし、当時の立場は契約社員。前例がない、ということで認められなかった。そして、ソフトウェア開発会社へ二度目の転職をすることになった。

技術を本気で勉強して、
システム全体を見渡せる知識を得た。

システムエンジニアの世界へ一歩を踏み出した秋本さんは、そこで「人生観を変える」一言と出合った。

「社長に呼ばれて、君は将来何をしたいんだ、というような話をしました。私は人と話すことが好きだから、システム開発の知識を活かした営業でしょうかね、と言ったら、返ってきた答えは『技術のない人間にものは売れない。いい営業になりたかったら、まず技術力を高めていくことだ』。感銘を受けました! これが契機となり、本腰を入れてプログラムを勉強しようという気持ちになった気がします」

ソフトウェア開発会社へ入社後、一ヵ月ほどの研修を受けて、派遣エンジニアとして就業を開始。最初はソフトウェアのテストをひたすら続けていた。その後プログラムの手直しを任せてもらえるようになる。機能の実装へ、仕様設計へ、構想レベルへと仕事の幅は広がり、ついには全工程をカバーするまでになった。

「ほとんど素人の状態で入った会社で、システム全体を見渡せるようになったのはいい経験だったと思っています。もう一つ幸運だったのは、まだC言語が主流の時代に当時最先端の・NETを学ぶことができたこと。今も・NET Framework をメインに使い、ほとんどすべてのプログラムづくりに役立てています」

だが、派遣元であるソフトウェア開発会社の経営が悪化。毎年年収が100万円ずつ減っていくのを経験した。

「このころには・NET Framework の仕事であれば、現場の最前線でやりきれる自信ができていました。そんな中、視界に入ってきたのがメイテックという会社です。当時、私が派遣されていた会社にもメイテックの社員がいました。印象に残っていたのは、給与の高さと、チームプレイで動く仲の良さ。うらやましいな、と思っていました」

環境が気にくわなければ、
自分で変えればいいじゃないか。

2011年、メイテック社員の紹介により、31歳でメイテック入社。入社して最初に配属された場所では、先輩社員と仕事の進め方でぶつかることもあり悩んだ。

「社員になってみると外からの印象と違うじゃないかと思ったこともありました。でも、一泊研修会の案内があり行ってみると、さまざまなお客さま先で働く仲間から、それぞれの立場で得た、貴重な経験談を聞くことができました」

今の環境が自分に合わないのなら、合う環境をつくってしまえばいいと考えた。

「前職で派遣されていた会社の人と話をしていて、人を探しているという情報を得ました。すぐに営業担当に連絡して、自分を売り込んでもらいました(笑)」

そうして業務を開始したお客さま先では、システムの仕様を固め、プログラム作成の指示を出す側へ仕事内容がシフトした。単に与えられた仕事をこなすだけではなく「環境を自分でつくり出し、最高のアウトプットに結びつけていく」秋本さんならではの仕事術が開花し始める。

「次のお客さま先では、新工場の組み立て工程をすべて自動化するシステム開発を担当。しかし、難題だったのは納期まで1年しか時間がなく、その時点の人員体制では、スケジュールが破綻することは目に見えていたこと。そこで、メイテックのメンバーの中から『彼を配属してくれたら、うまくいきます』という人を見つけてお客さまと交渉しました」

自分から動き、環境をつくりだすことで、実現に向けて前進できたという。

人と話し、人の力をまとめていける
エンジニアを目指す。

現在のお客さま先では、医療機器向けの光学設計支援ソフト開発の中で、他部署と連携して仕様決めを担当している。

「内視鏡のカメラの部分、ここはレンズを組み合わせてつくられています。期待する性能を出すためには、複雑な光学計算が必要で、開発プロセスの中で多大な時間を費やしていました。その計算式をあらかじめ、システムの中に入れ込んで自動計算できるようにすればスピードアップに結びつきます」

光学計算の専門家ではないので、秋本さん自身が計算式のすべてを理解しているわけではない。

「どんな技術に関しても、プロフェッショナルは存在します。でも、彼らだけでシステムができるかというと、そうではないでしょう。ソフトウェア開発の仕事は、きちんとゴールを見据えて、さまざまな役割を持つメンバーをチームとして取りまとめる人間がいて、はじめて動くもの。多方面との調整をして、完成までの道筋をつくっていくことが必要です。多くの人の力を借りながら、どんな仕事も必ず終わらせるエンジニア、そこに自分の存在意義を見出しています」

どこにいても、人に向き合いたい。さまざまな人と交流して、話を聞いて、求めているものを実現できるエンジニアでありたい。「人と話をして、人に喜んでもらえる」そこに自分の価値を見る。

メイテックの強みはエンジニア同士がフラットに交流でき、つながりをつくる場があること。ふと周りを見渡してみると、かつて、刺激を得た一泊研修会で、共に未来を語り合った仲間が何人もいる。

「そんな人々の力を合わせながら、プロジェクト全体を『まるっと』任せられる人材になる。それが現在の目標です」

技術を駆使するだけでなく、人間関係も構築する、それもまたエンジニアの貴重なスキルであることを秋本さんは実感している。

※当社社内報「SYORYU」:2017年春発刊号に掲載した記事です

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