電気・電子系エンジニア 内田 裕貴さん

●プロフィール
2005年  新卒入社、液晶露光装置の組み立て・調整
2009年~ 液晶露光装置の設計・評価
2012年~ 有機EL製造装置の設計
2014年~ 通信関連機器の設計

好奇心を持って仕事を広げた電気屋の
たどり着いたところは、機械設計だった。

テーマパークではなく、
メイテックで働くという道を選んだ。

はじまりは数学だった。

「小学校から高校まで、サッカーばかりやっていた体育会系の人間。物事を暗記するというようなことは全然できずに、国語や社会などの文系科目は成績もよくありませんでした。それに対して数学は、いくつかの公式を覚えて考えれば、答えが出ます。こちらの方が自分に向いていると思い、大学も電気科に進みました」

大学時代は「ロボカップサッカーシミュレーションの調査」というシステム系のテーマに力を注いだこともある。卒業を前に就職先の第一志望にしたのは、テーマパークで働くというものだった。

「電気科の中では珍しい志望先かも知れません。でも、テーマパークには、アトラクションやイルミネーションといった電気にかかわるものも数多くあります。その保守点検や新しいアトラクションの開発にかかわることができたら、面白いだろうと思ったんです」

残念なことに、その選考には入ることができず、5番目か6番目に出会った会社がメイテックだった。

「説明会で感じたことは『本気でエンジニアを育てようとしている』ということでした。技術を提供する会社だから、エンジニアが伸びないと、会社も成長しないという論理はとても分かりやすいものでした」

会社とエンジニア、どちらにとってもメリットがある体制、それがメイテックに就職を決めた内田さんの第一印象だった。

好奇心を持ち、質問攻めをして、
仕事の幅を広げていった。

入社して、最初に配属されたのは、液晶ディスプレイ製造に使われる露光装置を開発・生産しているメーカー。最初は、製造部への配属となり、据え付け・試験・評価などが業務の中心となった。

「正直言って、最初は大変!当時は、液晶ディスプレイが将来有望な技術分野と言われ、各社が次々と製造拠点を海外に展開していました。私が働く場所も韓国や台湾など海外になる。大体1ヵ月で完了する業務でしたが、ある年は10ヵ月海外出張をしたこともありました。つまり、10ヵ所に行ったことになります。稼働後のトラブルは、損害賠償というような話にもなるので、一秒でも早い解決を図るという、厳しさもある職場でした」

指示に従っているだけなら、仕事の幅を広げていくことも難しい。その中で、常に好奇心を持ち続けることが、内田さんのモチベーションとなった。

「『どうして、この寸法になるのか』『この仕様になる理由は何か?』というようなことを自然と考えながら仕事をしていました。ある時、台湾の現場で、据え付け後の試験・評価の仕事を、お客さま先の設計担当の方と二人で行うことに。ここぞとばかりに、質問攻めにして、多くを教えていただきました」

もともとは、電気系エンジニアとして配属された内田さん。仕事の中で機械的な知識も得るようになり、トラブルが起こっても、その原因にさかのぼって解決できるまでに。半年後には、電気と機械の両方が分かるということで、一人で装置一台を任せてもらえるようになった。

製造部の仕事、評価の経験が
設計への道を開いた。

製造部での仕事は4年半継続したが、リーマンショックが起こり、全員復帰。だが、2ヵ月後、同じ会社の今度は設計部門に配属が決まった。

「お客さま先も人手不足になり、設計部門で評価の仕事を担当する人間がいなくて、困っていました。そこで電気のことも機械のことも分かって、評価もできる人間ということで、かつて台湾で一緒に働いて質問攻めにした設計担当の方が私のことを思い出してくれたというわけです」

設計部門といっても、最初は評価がほとんど、その中でも、機会を見つけて設計の知識を深めていった。

「評価の仕事を続けながら、CADの使い方を教えていただけるという恵まれたお客さま先でした。こちらから興味を示すことで、簡単な設計から任せてもらえるようになっていきました」

そして同じ会社内で、ついに設計の仕事に専念できる職場を得た。

「有機ELの製造領域における開発業務。これまでの露光装置が大気中で動くのに対して、有機ELの場合は真空中で製造される。このことが装置の構造にも大きくかかわってきます。例えばモーターの配置場所は、大気中に置かなくてはいけないというようなことです。構想設計を担当する方がいて、詳細設計を私がするというような仕事の流れでしたが、この領域の設計手順を徹底的に学ぼうと取り組みました」

結局、お客さまの事情で派遣エンジニアは全員契約終了となる。しかし、その中でメイテック最後の一人になったことは、内田さんのささやかな勲章だった。

消費者向け製品開発を目標に
さらに、貪欲に知識を広げる。

復帰を経て、本来の専門だった電気を離れた機械領域で仕事を得た。

「電力会社などで、家庭内で使われるスマートメーターから送信されてくる情報を電信柱のところで受信するクロージャーという部品があります。そのための筐体設計。すでに基本設計がある製品に関して、エンドユーザーの要望に沿ってカスタマイズをしていく設計業務が中心になっています。以前が金属機械の設計だったのに対して、今度は樹脂設計。分野が違い、性質も違います。また、ゼロから勉強しているところです」

これからは、機械をメインに考えていきたいという内田さん。

「エンジニアとして生き抜いていくためには、あれもこれもではなく、専門的な知識が必要。その意味で、私は機械で勝負していきたいということです。将来は、産業用ばかりではなく、消費者向け製品の開発にもかかわっていきたいですね」

3歳と1歳の子どもがいる今、ベビーカーやチャイルドシートといった子ども用製品が大きな可能性を持っているのを感じているという。これまでなかったような発想で新しい製品を開発していくことが現在の目標。

「昔の夢だったテーマパークではないですが、面白い仕事をしたい。そのために、樹脂の勉強ができているのはありがたいことだと思います。消費者向け製品の多くは樹脂製ですし、その方面に入り込む一つの切り口ができたと思っています。もともと体育会系であったこともあり、机に座って本を読んで勉強というのは、あまり性に合わない人間です。それよりも『人から学ぶ』。いつも好奇心を持って仕事に向かってきたからこそ、お客さま先からも、実に多くのことを教えていただけたのだと思っています」


※当社社内報「SYORYU」:2014年夏発刊号に掲載した記事です

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